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服部恭平『Bacon』

以下は、写真家・服部恭平による『Bacon』(2024年)の刊行にあわせて書かれた文章です。

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 服部のカメラは卓越した仕方で、私的なイメージを切り出す。私的なイメージとは、単に日常生活の一コマを撮った写真ではない。言うまでもなく、そのような日常的写真は、こんにち誰もが容易に撮影できる。しかし、だからこそ、現代において私的なイメージを実現することは難しい。なぜなら、インターネットを通じてあらゆる写真が瞬時に共有されるとき、公/私の区分は溶け合い、消え去るからだ。私の大切な写真は、ただちに世界中へと公開され、ありふれたイメージが、私のカメラロールを構成する。このような時代において要求されるのは、私的な領域を確保する技法である。

 

 私的なイメージは、ある隔たりを演出する。鑑賞者が、そこに土足で踏み入れることを躊躇させてしまうような何か。私たちは服部とともに、私有地(propriété privée)の前に立っている。門は今日も閉まっているようだ。立派な柵ではない。視覚的には、微かな隔たりだけがある。半透明のカーテン、ペラペラのレシート、剥がれそうな絆創膏、イチョウの葉っぱ。これらの薄さによって、私的なイメージは保護されている。あるいは、まなざし。

 

 これらのわずかな間隙は、色彩と手を取り合う。食べかけの目玉焼きや、中途半端に開いたペットボトルを目前にした鑑賞者の、一瞬のためらい。一方的な視線から解放され、色彩が流れ出す。この色彩的運動を、イメージの語りと呼んでもよい。人間の言語に隷属せず、独自の言葉を喋る諸々のイメージ。イメージたちは、シンプルな色彩——赤、青、黄、緑——を文法に据えながら、無限に多くの言葉を喋る。私たちはそのざわめきを、少しでも長く聴いていたいと願う。私的なイメージの、門前で。